「同人音楽」関連重要文献レビュー

はじめに

本稿は、とりわけ卒業論文・修士論文等で同人音楽を取り上げようと考えている学生諸氏、また同人音楽を純粋に学術的視点から捉えたいとお考えの各位を読者に想定し、研究をすすめる上で重要になると思われる文献を紹介するものである。目次に挙げた項目1〜5では、同人音楽と直接ないし密接な関係を持つ文献を個別に取り上げ解説を加えた。各文献は項目単位で年代順(旧→新)に並べているが、同年代内においては画一的なルールを設けず内容的なまとまりがよいよう配列している。これらに対し項目6では、同人音楽の文脈からは若干離れるものの研究に際し一読を勧めたい関連文献をテーマに沿って自由に取り上げた。無論、それぞれの区分けや順序付けは各文献間の内容的な優劣を示すものではない。

なお、本稿で言及する文献のピックアップに際しては、書店や大学図書館等を通じて入手・参照が可能なものに限定した。入手が困難な同人誌等については本稿では取り上げることを控えている。「同人」音楽についてのレビューであるにも関わらず「同人」ベースで流通するテクストを取り上げないのはリストとして不十分だとの批判もあろうが、そうしたテクストは一次資料として研究の中で各人に収集して頂くとして、本稿では学術的な手続きに則って研究を開始する最初の手掛かりとなるような文献の整理を心がけた。

とはいえもちろん、文献のピックアップは筆者個人の限られた視野に基づいており、網羅的なリストとしての性質は望むべくも無い。収録文献および解説は随時増やしていくつもりだが、もし本稿で攫いきれていない重要文献をご存じの方は、ご一報を頂ければ幸いである。

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初出:2009.11.04
最終更新:2014.09.04(文献追加)

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「さらなる読書のために」のなかの、「初音ミク」の項(すべて)

目次

1.総論
2.ジャンル・作品
3.メディア・ネットワーク
4.関連領域
5.執筆に際して
6.さらなる読書のために

1.総論

 

■ 三才ブックス 2007 『同人音楽を聴こう!』(三才ムックVol.167)。

 全体の2/3程度を、2000頃からの同人音楽ディスコグラフィーが占める。ただしこの資料については、決して網羅的な性質のものではないことを編者自身が断っている。この他には、公刊時点の同人音楽シーンにおける(あるいは同人音楽から出発し既にプロとして活躍する)有名なサークル/アーティストへのインタビュー、ごく簡潔な「Sound Horizon」論、即売会/ショップ/イベント他の紹介記事などが収録されているが、学術的な観点からはとりわけ、同人音楽の概要、発展の経緯、ルーツ等を論じた一連の記事(pp.18-40)が興味深い。ただし手軽に読める反面、文量的には決して十分とはいえず、特に歴史的記述についてはどうしても言及に取捨選択が働いてしまっている感が拭えない。同人音楽という現象を一つの側面から切り取り俯瞰した資料として本稿を捉え、そこに何が欠けているのか、あるいはどのような描き手の立場や暗黙の前提が透かし見えるのかを考える必要があるだろう。

 

■ 冨田明宏 2008 「同人音楽の中に見る「初音ミク」」、『ユリイカ : 詩と批評』12月臨時増刊号、総特集「初音ミク : ネットに舞い降りた天使」40巻15号、24-29頁。

 初音ミク特集に寄せられた一編だが、その流行のベースには同人音楽があった、という観点から議論が展開されている。本稿で指摘される同人音楽の特徴は、送り手と受け手の価値観の近さ、あるいは非営利の自作品配布を目的としたコミュニティの存在、などだ。著者はその起こりを90年代初頭に活躍したプロのゲームクリエイターらに求め、発展の過程で重要となった要因としてDTMやインターネットの普及、またいわゆる「葉鍵系」や「歌姫」の流行などを指摘している。具体的な人名・作品名がいくつも挙げられているので、知らない名前を調べることで各自の知識を広げていくといった用途にも有効だろう。90年代(同人音楽のルーツをこの時代に求めることが適当かどうかについては議論の余地があるが)以降の動向を非常に明快な流れとして捉えており、その意味で『同人音楽を聴こう』[前掲]の記事を補完する役割を担っているといえよう(事実、冨田は同書記事の一部も担当している)。だがその反面、大きなセールスに至らなかった事項は捨象されており(たとえば歌姫が流行する以前のオリジナルについては殆ど触れられていない)、その歴史叙述は『同人音楽を聴こう!』同様、良くも悪くも教科書的といえよう。

 

■ 冨井公・國田豊彦 2008 『同人音楽制作ガイド』、秀和システム。

 同人音楽をどのように制作し、どう発表するのか、そのプロセスやテクニックを述べたHowTo本。DAWの基本的な概念や各種機材について解説が行われる第1章、シーケンサーの使い方と簡単な楽理について述べた第2章、コードの理論を中心にアレンジ方法を説明した第3章、作詞について述べた第4章、完成した作品を発表する際の注意点・方法を紹介する第5章から構成されている。同人音楽そのものについて真正面から論じられているわけではないが、将来的には、本書公刊時点(08年)における同人音楽製作環境の一端を示す記録資料となりうるだろうか。一方、文量としては極めて短いが、序章である「同人音楽をやってみよう」の項と、「同人音楽って儲かるの?」と題された第5章4節(コラム含む)からは、筆者らが同人音楽を「どのようなものだと見なしているのか」を読み取ることができる。裏付に乏しい記述ではあるが(もちろんそれは本書の性格を踏まえれば仕方のないことだ)、少なくともそのような同人音楽理解が08年時点のHowTo本に明記されているという事実は、執筆の背景を含む何某かの考察の材料になるだろう。

 

■ 井手口彰典 2012 『同人音楽とその周辺 : 新世紀の振源をめぐる技術・制度・概念』、青弓社。

 同人音楽文化とそこで流通する音楽を中心的な主題としつつ、さらに隣接する関連実践についても言及した学術書。同人音楽関連書籍はこれ以前にもいくつかが公刊されているが、アカデミックなものとしてはおそらく本書が初だろう。全体は同人音楽を直接の論題とする第一部と、その「周辺」を扱う第二部とに分かれている。第一部では同人音楽の現在を概説する導入(第1章)に続き、同人音楽の定義を巡る問題(第2章)、同人音楽と「ジャンル」との関係(第3章)、同人音楽批評の可能性(第4章)などが論じられる。また第二部では初音ミクの「作者」性(第5章)、ニコニコ動画における協働の在り方(第6章)、日本における「アマチュア」概念の変遷(第7章)がそれぞれ取り上げられる。さらに一部/二部の間には、M3準備会事務局の相川宏達氏と、元M3代表の寺西慶祐氏に対する、2件のインタビュー記事が収録されている。終章では先行する全ての章を踏まえ、同人音楽の特徴が「妨げられない」という点に集約されているが、そうした見解の妥当性については今後も引き続き当該文化の観察を通じ検証が続けられるべきだろう。また扱われる論題は多岐にわたるものの、それでも同人音楽をめぐるテーマの全てが本書のなかで語り尽くされているわけではない。多くの論者による、より多角的な議論の集積が望まれる。
( ※ 寺西氏のお名前の祐は、正しくは「示」へんに「右」)

 

■ 井手口彰典 2012 「コミケットの「ジャンルコード一覧」に見る同人音楽コミュニティの成立過程」、『コンテンツ文化史研究』7号、25-35頁。

 上記『同人音楽とその周辺』の内容を部分的に補足する、「巨大な註」としての研究ノート。同人音楽に参与する人々が今日のようなコミュニティ(参加者の帰属意識を伴う集合的な活動体)を形成するようになったのはいつ頃であったのかという問題に対し、コミケットにおける「ジャンルコード一覧」の分析を通じて「1990年代後半頃」という答えを導き出している。作業の過程で抽出される各知見や結論は決して驚くような大発見などではないが、同人文化という記録に残りにくい領域の歴史をコミケットの「ジャンル」やそこに添えられた「補足一覧」の推移から照らし出し傍証する、という戦略についてはそれなりの応用性も認めることができよう。

 

2.ジャンル・作品

 

■ 東浩紀・伊藤剛・谷口文和・DJ TECHNORCH・濱野智史 2008 「初音ミクと未来の音 : 同人音楽・ニコ動・ボーカロイドの交点にあるもの」、『ユリイカ : 詩と批評』12月臨時増刊号[前掲]、143-161頁。

 「初音ミク」に関連する様々なテーマが自由に展開される様は、興味を惹かれる多くのポイントを含む反面、読者に雑多な印象を与えもする。「同人音楽」という観点から特筆しておくべきは、DJ TECHNORCHの発言が暗示する同人音楽とクラブミュージックとの歴史的な繋がり、あるいは、声と固有名だけで「キャラクター」が成立するようになったのではないかという伊藤の見解だろう(後者については東が挙げている「釘宮」ボイスの受容のされ方も興味深い)。中盤で東が投げかける「同人音楽は巨大な焼き畑農業ではないのか?」という趣旨の指摘については賛否が分かれるところだが、この問いかけに対し本稿のなかで有効な反論が(可能性の鱗片は見えつつも)なされていないのは事実である。今後、特に作品論の形態で同人音楽を肯定的に捉えた議論を行おうと考えるならば、東の投げかけた疑問をどう切り崩すのかが重要な論点になるだろう。

 

■ DJ TECHNORCH & V.A. 2008 『読む音楽』完全版、999 Recordings。

 4つの章それぞれに用意された「改訂・自分語り」が本書の骨格。また各章にはゲストライターによる様々な文体のテクストやネットレーベルへのインタビュー記事が差し挟まれる。第1章「音楽以外の音楽」では、音楽に付帯する様々な(特に文字ベースの)情報(筆者はそれを「音楽以外の音楽」と呼ぶ)に基づいて音楽を聴く楽しさや、またそうした情報を記録として残すことの重要性が、自身の来歴と併せて紹介される。第2章では音楽製作におけるオリジナリティの話題から、二次創作は消費の一形態だとする主張が導き出される。また、同人音楽におけるいわゆる「アレンジもの」の功罪についても論じられる。第3章ではオタ芸、パラパラ、ダンパ等における「ノリ」が極めて現代日本的なものとして説明された後、同人クラブノリの特徴が対比的に分析される。最後の第4章では、クラブカルチャーとオタクカルチャーの混血ともいえるJ-COREについて議論が展開される。著者はJ-COREの特徴の一端をハードコアリスナーの「同人カルチャー」化に求めるが、その変化は一筋縄ではなく、ジャンル的な作法の違いに基づく様々な混乱が生じている様子が読み取れる。ハードコアに限らず、同人音楽内部でのジャンル的なシフトを考察する上でも本章は示唆に富むといえよう。

 

■ 井手口彰典 2008 「音楽萌え : その諸相と東方・初音ミク」(特集:「萌え」の正体)、『國文學 : 解釈と教材の研究』53巻16号(2008年11月号)、學燈社、42-51頁。

 「萌えの正体」と題された特集に寄せられた一編。音楽に対して「萌え」を見出すことは可能なのか、もしそうなのだとすれば、どのような「音楽萌え」があり得るのか、が論じられる。本稿の要は、音楽に対して人が「萌える」機制を、楽曲そのものが内在的に持つ何らかの特徴に依拠した場合と、楽曲それ自体ではなく当該楽曲に経験的に結びつけられる音楽外的な要因に依拠する場合とに大きく二分し、それらを縦横二軸のマトリックスとして概念化した点にある。個々の楽曲は、内在的/外在的な萌え要因をそれぞれ持つ/持たないに応じ四つのグループとしてマッピングされるが、その振り分けは決して固定的ではありえない。論の後半では、聴取者の立ち位置や文化内のムーブメントに準じてマッピングの結果が変動することが「東方アレンジ」や「初音ミク」を例に説明される。

 

■ 北島哲郎 2009 「同人文化のあり得る未来について : 協働を通じた文化の拡大を例に」、『同人音楽研究』1号、16-29頁。

 実践者の実例を豊富に盛り込みつつ、同人音楽の発展過程を分析する論文。まず著者は、同人文化が一般的に閉鎖的・自己完結的な活動として見なされる(あるいはそうした状況が理想視される)傾向にあることを指摘する。しかし本稿で検証されるとおり、音楽を含む同人文化とて、実際には外部からもたらされる様々な刺激に呼応した発展を見せる場合が少なくない。たとえば音楽製作における「分業」システム(歌姫への依頼等)もその一つだ。だが分業はサークルという単位を前提としてきた従来の同人文化からみれば明らかに異質な創作プロセスであり、その普及が今日の同人音楽にある種の混乱を引き起こしているのもまた事実である。本稿ではこうした同人音楽文化「外」からの影響とその結果(変化や混乱の生起)が「生演奏」や「イベント運営」を例に検討される。「同人音楽」を固定概念的に捉えてしまうことに警鐘を鳴らす示唆的な議論だと言えよう。

 

■ 冨田明宏(他?) 2009 「特集 萌える音楽」、洋泉社Mook『アニソンマガジン 00年代「萌える音楽」総決算!究』、7-51頁。

 複数の記事が集められた「特集」だが、クレジットを見る限り大半は冨田が一人で執筆している模様。オタク文化発祥の“萌え”概念と融合した「萌える音楽」について、代表的なアーティスト(UNDER17、MOSAIC.WAV、IOSYS、畑亜貴など)へのインタビューも交えつつ紹介している。いわゆる電波ソング/萌えソングと概ね重なると考えてよいが、本特集における定義のほうがより広い(音楽そのものに萌える要素がなくともオタク属性との繋がりがあれば「萌える音楽」たりうる)点に注意。同人音楽についてはいくつかの記事で言及されている他、「萌える音楽」のルーツを同人音楽の黎明期に求めるエッセイが収載されている。「萌える音楽」を「オルタナ」ムーブメントに喩えるなどインパクトを重視した論の運びが気になるものの、電波ソング/萌えソングに関する文献が極めて少ない点に鑑みるならば、それらの音楽に言及する上で重要な基礎資料となるだろう。
 なお以下余談となるが、もし電波ソング/萌えソングの成立過程について論じるのであれば、「煮込み味噌ナスに激しくワラタ奴等のガイドライン」など目を通しておくべき一次資料がネット上にも存在している。

 

■ 今井晋 2010 「「軽薄な聴取」 から 「ライブ回帰」 へ」、『ユリイカ : 詩と批評』2010年9月号、特集「10年代の日本文化のゆくえ : ポストゼロ年代のサバイバル」42巻10号、167-175頁。

 ゼロ年代以降の音楽文化の動向を、「軽薄な聴取」から「ライブ回帰」へ、という流れで説明した文章。「好きな曲だけを好きなように」というネット時代の聴取スタイルを、「軽やかな聴取」(渡辺裕)からさらに加速させて「軽薄な聴取」と表現しているのは言い得て妙。「ライブ回帰」についても近年の音楽産業の動向を見ていれば反論の余地はないだろう。これら二つのキーワードに沿って、具体的なアーティスト名を交えつつ今日の音楽文化状況が概観されるが、その一環としてボーカロイドと東方アレンジが(結構な文量で)取り上げられる。両者はいずれも特定の作品や作家についての話題が中心となっているので、同人音楽批評の一例として読んでも面白い。また本稿からは、既存の商業音楽/同人音楽という区分が今後ますます意味をなさなくなっていくであろうことが予感される。

 

3.メディア・ネットワーク

 

■ 濱野智史 2008 『アーキテクチャの生態系 : 情報環境はいかに設計されてきたか』、NTT出版。

 「Google」「2ちゃんねる」「ミクシィ」「Youtube」「ニコニコ動画」等のオンラインサービスを、それらがどのように設計・構築されているのかという「アーキテクチャ」の観点から論じた文献。同人音楽の観点からは、とりわけ第6〜7章におけるニコニコ動画分析が重要だろう。本書によれば、ニコニコ動画の構造的特徴は非同期的に行われているコミュニケーションをあたかも同期的なものであるかのように見せる点にあり、その結果「いつでも祭り中」の状態が創り出される。同人音楽という、受容者の数だけをみれば従来のポピュラー音楽に比べ極めて母集団の小さい文化実践にあって、同期的な盛り上がりが(擬似的にであれ)創り出されるという環境は、今後ますます大きな意味を持つようになるかもしれない。なお、アーキテクチャ構造はいわゆる「見えない権力」とも結びつきやすいが、本書はそうした事態をさほど否定的には捉えようとしない。是非の判断を保留した上でアーキテクチャをとりあえず分析する、という作業は本書に任せるとしても、個別の文脈においては望ましくない権力の発生に対し、一定の注意を払うべきだろう。

 

■ 望月寛丈 2010 『ウェブ時代の音楽進化論』、幻冬舎ルネッサンス

 特に第2章以降で、“インターネット上に発表されるアマチュアの楽曲”が主題として扱われる。「同人音楽」という言葉は本書中に全く出てこないが、本書において言及されている事態の少なくない部分は同人音楽文化とも密接に関わっていると言えよう。旧来の音楽ビジネスとは軌を一にしない/作曲家が軸になる/個人の価値観の発露である、等の特徴を持つオンライン上の音楽を、著者は「フュージック」(Free+Music)と名付け、その将来的な在り方を「予言」しようとする。その着眼は面白いし、時折「おっ」と思わせる示唆もある。ただ、本書はいわゆるアカデミック・ライティングの体裁を採っておらず、先行文献からの論拠の引用などは殆ど行われない。もちろんどのようなスタイルで論述するかは書き手の自由だが、しかし特に現在進行形の現象を巡る例証については全く不十分であるように感じる。個人的に首を傾げてしまう主張も少なくない(ex.テレビからネットに活動エリアが移行すると制作における接点がなくなるので音楽と異分野との繋がりが希薄になる、アマチュアは制作にプロほどの時間をかけられないので作品は小規模になる、etc.)。批判的読者を納得させるだけの裏付けが必要だろう。

 

4.関連領域

 

■ アタリ、ジャック 1985 『音楽/貨幣/雑音』(新装版『ノイズ : 音楽/貨幣/雑音』)、金塚貞文[訳]、みすず書房。

 音楽の在り方が時代の在り方を予言し告知する、という大胆な主張に基づいた思索の書。著者は多数の歴史的資料を引き合いに出しつつ、音楽のモデルが、秩序立てられ儀礼のなかに組み込まれた「供犠の系」に始まり、貨幣によって交換される見世物としての「演奏の系」、そして録音技術の登場によってもたらされたより個人的な「反復の系」へと変化してきたことを明らかにする。それだけでも十分面白い議論なのだが、同人音楽の文脈においてこの文献が必読であるのは、「反復の系」に続く未来の音楽モデルとして、1977年当時(原典執筆時)の著者が「作曲の系」を提唱しているという点だ。音楽はそこで、「自分自身の悦び以外の目的を持たぬ行為」「孤独で個人主義的なそれ故非商業的な行為」になる、という。もちろんここでいう「作曲」というのは、旧来的な意味でのコンポジションであるばかりでなく、たとえばYouTubeの無数の動画を気の向くままにザッピングし寸断し並べ替えることで自身の聴取体験を能動的にコントロールしたり、またそれをMADにしてニコ動にアップしたりするような営為までゆるやかに含むものとして捉えられるべきだろう。もちろん、同人音楽という活動のかなりの部分もこの「作曲の系」に重ね合わせて捉えることができる。30年以上前に書かれたとはにわかに信じがたいその内容には畏怖さえ覚える。

 

■ 室田尚子 1999 「少女の性愛ファンタジー : その装置としての少女マンガとロック」、北川純子[編]『鳴り響く性 : 日本のポピュラー音楽とジェンダー』、勁草書房。

 「同人音楽において」というよりもむしろ「同人誌即売会で消費される音楽ジャンルにおいて」、常に一定の表現者/受容者を抱えてるのが「ヴィジュアル系」である。本論では、このヴィジュアル系に先立つ耽美派ロックが、少女マンガ、なかでもとりわけ男性同性愛を描く作品群(いわゆる「やおい」)と極めて密接に結びついた形で受容されてきたことが、著者自身の体験も織り交ぜつつ明らかにされる。メイクや衣装を通じ既存の男性性から逸脱する耽美派ロックミュージシャンは、女性的な外見にも拘わらず肉体的な性の不利益を被らない美少年とともに、少女達の「理想化された自己像」を形成してきた。コミケットというマンガに比重を置いた同人誌即売会にヴィジュアル系ロックが密接に関係しているのは決して偶然ではないことがよくわかる。なお「やおい」的表現とロックとの結びつきについてより深く考える上では、同じ著者による『ヴィジュアル系の時代 : ロック・化粧・ジェンダー』(次項)の第4章も参照したい。

 

■ 小泉恭子 2003 「異性を装う少女たち : ヴィジュアル・ロックバンドのコスプレファン」、井上貴子[他著]『ヴィジュアル系の時代 : ロック・化粧・ジェンダー』青弓社、208-245頁。

 上述の「やおい」と並び、同人誌即売会における音楽を考える上で外すことの出来ない「コスプレ」を対象とした論考。ヴィジュアル・ロックのファンがバンドメンバーに「なりたいwannabe」ために同じ格好をする、という初期の状況から、やがてコスプレすることそれ自体に情熱を傾けるコスプレファンが増加してくる流れが追跡的に紹介される。その上で筆者は、コスプレをコスプレとして楽しむ少女らを「表現系のおたく」と名付け、男性を中心とする「コレクター系のおたく」と対比させる(こうした区分については多少違和感もあるが、本稿の主旨ではないのでここでは踏み込まない)。ヴィジュアル系バンドをキャラクターの一種としてみなし、自己表現のための素材として自由に活用する器用なコスプレファンは、それゆえ、「やおい」同人誌で自由にカップリングをたのしむ少女達に極めて近いのではないか、という指摘は説得力の強いものだろう。同書に収められた他の論考も、ヴィジュアル系についての理解を深める上で有益である。

 

■ 七邊信重 2010 「「同人界」の論理 : 行為者の利害・関心と資本の変換」、『コンテンツ文化史研究』3号、19-32頁。

 同人文化内部(七邊はブルデューを援用しつつそれを「同人界」と呼ぶ)における、価値観、ルール、文化資本などの在り方を、サークル参加者ら(同人ゲームサークルが中心)へのインタビューも交えつつ明らかにした論文。冒頭にまとめられた同人文化関連の先行研究紹介も充実している。活動それ自体の楽しさや仲間からの承認が重視され、反対に経済的利益の追究が忌諱される、という同人文化の全体的傾向については、ある程度まで肌で感じ取ることもできるが、資料に基づいてそれを論証した点は高く評価できよう。また、経済的利益から距離を取ることが「自己利益の最大化という観点」から見れば実際には「功利的」なものだという指摘も鋭い。サークル参加者らの「語り」がどこまで本心に基づくものであるのかについては慎重になる必要もあろうが、彼/彼女らがそうした振る舞いを見せるのは事実だ。同人音楽を含む多方面の議論に援用可能な、示唆に富む論考だといえよう。なお七邊には同稿の他にも、同人ゲームを主題とする研究や、同人の「集団」性・「〔対人〕関係」性などに着目した研究などがある。詳しくはCiNiiに譲るが、特に同人ゲームについては、同人音楽の状況と比較検討(もちろん同一視はできない)することで、新たな知見を開くことも可能だろう。

 

■ 円堂都司昭 2013 『ソーシャル化する音楽 : 「聴取」から「遊び」へ』、青土社。

 音楽以外の様々な出来事なども視野に入れながら、21世紀以降の音楽文化状況を俯瞰した本。分割(音楽作品としてのまとまりの解体)、変身(リミックスやパロディなど)、合体(カラオケやエア芸など他者の音楽への介入)といった方法を通じて、音楽が「聴取」されるものから「遊び」の対象へとシフトしてきていることが論じられる。同人音楽はそうした多様な音楽実践=遊びのなかの一つとして取り上げられているに過ぎないが、それでも特に00年代以降の音楽文化全般のなかにあって同人音楽(や他のオタク・カルチャー寄りの音楽)占める重要性が増してきていることは明瞭に読み取れる。単一の事象について掘り下げて考究するタイプの文献ではないが、その分、多角的な示唆を受けることができるだろう。同人音楽について論じる場合であっても、「それしか見えていない」ような近視眼的状況に陥ってしまうのはまずい。より広いパースペクティブで同人音楽を捉え、あるいは議論を発展させるうえで、非常に参考になる。

 

5.執筆に際して

 

■ ウィンジェル, リチャード J. 1994 『音楽の文章術 : レポートの作成から表現の技法まで』、宮沢淳一・小倉眞理[訳]、春秋社。

 同人音楽に限らず、鳴り響く音楽を対象に文章を書こうとする者にとって必携の一冊。卒論や修論で音楽に取り組むのであれば、できれば一冊手元に置いていつでも参照できるようにしておきたい。テーマの設定やアウトラインの書き方といった論文執筆の基礎的な知識に加え、ゼミ発表や曲目解説、演奏会評の記述方法まで紹介されている。もともとは英語を用いた文章記述のためのマニュアルであることから、英語の文法や表現について一定のページが割かれているが、それはそれでいろいろ勉強になる。基本的にクラシック音楽が対象として想定されているものの、ポピュラー音楽や同人音楽であっても留意点はさほど大きく変わらないだろう。特に、巻末に挙げられた参考文献・資料の書式(まとめ方)一覧は重宝する。

 

■ 窪田光純 2004 『同人用語辞典』、秀和システム。

 タイトル通り同人文化に関する用語をまとめた辞典。内容は「《ぱら☆あみ》的 同人用語の基礎知識 ウェブサイト」に掲載の事項を書籍化したものだが、同サイトは現在まで更新が続けられているため、本書公刊後(2004〜)の状況についてフォローしたいときにはサイトにアクセスしてみるのもよいだろう。残念なのは同人音楽関連の語句があまり含まれていない点で、「同人音楽」「音系」「M3」などはいずれも記載がない。とはいえ内容は非常に充実しており(全ページカラーで748単語)、通読しても楽しめる。また論文執筆の際には、ネット上の記述に懐疑的な意見に対して「書籍における定義です」と示せる強みがあるかも。オタク系サブカルチャーは2004〜05年頃にかけて一気に社会的露出度が上がったため(野村総研/浜銀総研の発表、電車男ブーム、流行語に「萌え〜」etc.)、この時期を境に重要語句やその用例には変化が生じている可能性がある。その意味でも、2004年時点での書籍化はいいタイミングだったといえよう。

 

6.さらなる読書のために

オタク系文化(概論)

 オタク系文化全般を対象とした俯瞰的な論考としては、何をおいても東浩紀『動物化するポストモダン : オタクから見た日本社会』(講談社2001)を外すわけにはいかない。「データベース消費」や「動物化」といった概念に対しては否定的な見解もあるのかもしれないが、そうだとしても議論を開始する参照点として本書は極めて重要である。またその議論をより深く理解するためにも、東が度々引用する大塚英志『定本 物語消費論』(角川書店 2001)にも目を通しておきたい。
 ラカン派の理論を援用しつつ「コミュニケーション」「他者」といった観点からオタクを論じる大澤真幸「オタク論」(『電子メディア論 : 身体のメディア的変容』新曜社1995所収)も示唆に富む文献だが、刊行時期がやや古いため昨今のオタク像とは若干相容れない点も見受けられるように思われる。一方オタキングを自称する著者による岡田斗司夫『オタク学入門』(太田出版,1996=新潮社,2000)は、それまで否定的なスティグマとして社会から捉えられてきたオタクを、優れた感性と審美眼を持った存在として再定義した著作。
 09年時点におけるオタクの姿をスマートな語り口で紹介するのは榎本秋[編著]『オタクのことが面白いほどわかる本 : 日本の消費をけん引する人々』(中経出版2009)。副題どおりの手軽なガイド(An easy guide to "Otaku")だが、実例を伴わない断定が少々気になった。研究の立場からは「本当にそうなのか」「なぜそうなのか」と疑う視点も大切だろう。
 歴史的な観点からは、コミックマーケット初代代表の筆による霜月たかなか『コミックマーケット創世記』(朝日新聞出版2008)、またSF大会からコミックマーケットへの流れを追った吉本たいまつ『おたくの起源』(NTT出版2009)を挙げておく。両者は、往時のうねりをその内側/外側という異なった視点から記述しており、併せて読むことでいっそう面白味を増すだろう。なおコミックマーケットについてより詳しくは、90年代後半までの状況を多角的に切り取った別冊宝島358『私をコミケにつれてって』(宝島社1998)がある。同書にはM3成立直前の同人音楽の状況について触れた短いコラム(p.72)が収録されているのも興味深い。
 同じ歴史的議論でも、オタクが各種メディアからどのように「問題」視されてきたのかについては、松谷創一郎「〈オタク問題〉の四半世紀」(羽渕 一代編『どこか〈問題化〉される若者たち』恒星社厚生閣2008所収)が多数の例を引きつつ整理・分析している。ただ、あくまでも「メディア上での言説」の変遷である点には注意が必要だろう(それは必ずしも一般的な人々の理解と合致するとは限らない)。

オタク市場

 オタク市場については、「萌え」に焦点を絞った森永卓郎『萌え経済学』(講談社2005)河合良介[編著]『萌える!経済白書』(宝島社2006)などがある。何れも専門的な経済学の書籍というよりは、萌えを中心とするオタク市場について読者にその概要を紹介する性質の方が強いように思われる。より踏み込んだオタク市場分析としては、メディアクリエイト『2008オタク産業白書』(メディアクリエイト2007)が勉強になるだろう。また「萌え」に限定されずオタク市場を広義に捉えた研究としては、「クルマオタク」や「旅行オタク」などにまで視野を広げた野村総合研究所オタク市場予測チーム『オタク市場の研究』(東洋経済新報社2005)がある。さらに「オタク」というキーワードからも離れ一般的なマンガやアニメまでその射程に含めた市場については、中村伊知哉・小野打恵[編著]『日本のポップパワー : 世界を変えるコンテンツの実像』(日本経済新聞社2006)を参照したい。ただし、これらの市場分析関係の文献については、他の文献にも増してその出版年に十分な注意を払う必要がある。言うまでもなく市場は生き物であり、「どの時点での」情報なのかを明らかにすることが重要だろう。

オタク的商品/作品

 市場ではなく、オタクによって消費される商品や作品それ自体を対象にした論考としては、とりわけ「美少女」についていくつかの文献が発表されている。ササキバラ・ゴウ『〈美少女〉の現代史 : 「萌え」とキャラクター』(講談社2004)は、美少女をキーワードにわが国におけるメディア作品の発展を通史的に追った文献。一方、吉田正高『二次元美少女論 : オタクの女神創造史』(二見書房2004)はテーマを「メカ美少女」「格闘美少女」といったカテゴリーに絞り込み、OVAや同人誌も含む厖大な数の作品例を交えつつその展開をいっそう緻密に追っている。斎藤環『戦闘美少女の精神分析』(太田出版2000=筑摩書房2006)はタイトル通り「闘う美少女」を中核としているが、こちらは精神科医による「オタク」の心性分析という性格が強い。後述の「萌え」概念を理解する上でも必読の書だろう。

萌え

 今日のオタク系文化の中核を成す概念である「萌え」については、非常に多くの文献があり、目を通すだけでも一苦労である。以下では特に重要だと思われる文献を紹介するが、もちろん、それらが全てというわけではない。「萌え」は論者によってその定義が様々であり、一概に説明することが困難であるが、多数の筆者による多角的な「萌え」観を手軽に概観したいのであれば、國文學』2008年11月号(學燈社2008)で組まれた特集「「萌え」の正体」が最適だろう(個人的には、同誌に収録された「萌え=をかし」論が大変興味深かった)。萌える諸営為を実践する、ないしは産み出す人々の具体的な言動については、(萌える対象の時代的な変遷はあるにせよ)堀田純司『萌え萌えジャパン : 二兆円市場の萌える構造』(講談社2005)が参考になる。また「萌え」る当人による体系立った発言としては、現代の社会的状況を踏まえつつ「萌え」ることを高らかに肯定する本田透『萌える男』(ちくま書房2005)などがある。

初音ミク

 上述の「萌え」と同様、ミクについても非常に多くの関連文献が存在する。本レビューで既に紹介したものと若干重複するが、主要なものをまとめておこう。文化現象としての初音ミクとその展開については、スタジオ・ハードデラックス編『ボーカロイド現象 : 新世紀コンテンツ産業の未来モデル』(PHP研究所2011)が関係者へのインタビューを軸に多角的にまとめている。またユリイカ : 詩と批評』12月臨時増刊号[前掲]『S-Fマガジン : 空想科学小説誌』(52-8,2011)『BT : 美術手帖』(985,2013)に組まれた各「初音ミク」特集からも総論的な知見を得ることができるだろう。
 一方、個別に発表された初音ミク関連の文献としては、00年代に流行した「データベース消費」概念を音楽へと応用するなかでミクにも言及する増田聡「データベース、パクリ、初音ミク」(東浩紀・北田暁大編『特集・日本』(思想地図vol.1)、日本放送出版協会2008所収)、1970年代以降のアイドルの系譜のなかにミクを位置づける太田省一『アイドル進化論 : 南沙織から初音ミク、AKB48まで』(筑摩書房2011)、「つながれなさ」をキーワードに臨床心理学の立場からミクの存在の脆さを指摘する菱田一仁「初音ミクの存在論」(『京都大学大学院教育学研究科附属臨床教育実践研究センター紀要』15,2011所収)、既存のキャラ論を下敷きにミクの本質を「声のキャラ」として説明付ける井手口彰典「現代的想像力と「声のキャラ」 : 『初音ミク』について」(『同人音楽とその周辺』[前掲]所収)、W.ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』を土台にミクを「メタ複製技術」の代表例として捉える遠藤薫『廃墟で歌う天使 : ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』を読み直す』(現代書館2013)、現代的な「音楽遊び」の一例としてミクにも言及する円堂都司昭『ソーシャル化する音楽』[前掲]、ミクのライブを考察の端緒に聴取者の「身体の分裂」を論じる広瀬正浩『戦後日本の聴覚文化 : 音楽・物語・身体』(青弓社2013)、関係者への取材を多く交えつつ時系列に沿ったミクの展開を追跡する柴那典『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版2014)、などを挙げることができる。
 その他、初音ミク(ないしボーカロイド)については理系の技術的な論文も多く存在するが、筆者の専門からは外れるためここで詳細を述べることは叶わない。

デジタルと音楽

 テクノロジーの発達とそれに伴う音楽実践の変容については、特定トピック(例えば音楽配信やP2P、ニコニコ動画等)についての個別の議論とは別に、それらを横断的に俯瞰する論考も増えてきている。今日の音楽文化を巡る規則や権利の問題に焦点を当てた津田大介 2004 『だれが「音楽」を殺すのか?』(翔泳社2004)、何が音楽(作品)なのかという問題に切り込む増田聡・谷口文和『音楽未来形 : デジタル時代の音楽文化のゆくえ』(洋泉社2005)、とりわけ経済的な観点からデジタル時代の音楽の在り方を論じるKusek,David・Leonhard,Gerd『デジタル音楽の行方 : 音楽産業の死と再生 音楽はネットを越える』(yomoyomo[訳]翔泳社2005)、「参照」をキーワードに現代的な聴取体験の変容を分析する井手口彰典『ネットワーク・ミュージッキング : 「参照の時代」の音楽文化』(勁草書房2009)などが挙げられよう。
 同人音楽の成立に欠かすことの出来なかったDTMについては、田中健次「DTMについて」(佐賀大学教育学部『研究論文集』43-2,1996所収)でコンパクトにまとめられている。またコンピュータミュージックの歴史全般についてより詳しく知りたい向きには、田中雄二『電子音楽 in JAPAN』(アスペクト2001)がある。

ポピュラー音楽研究(個別研究)

 わが国におけるポピュラー音楽研究は、1990年の日本ポピュラー音楽学会設立に前後して盛んに行われるようになっており、これまでに多くの書籍が発表されている。なかでも東谷護[編著]『ポピュラー音楽へのまなざし : 売る・読む・楽しむ』(勁草書房2003)およびその続編とも言える東谷護[編著]『拡散する音楽文化をどうとらえるか』(勁草書房2008)は必読だろう。また類似のコンセプトを持つ書籍として、三井徹[監]『ポピュラー音楽とアカデミズム』(音楽之友社2005)も重要である。これらに収録された文献は何れも同人音楽を直接扱っているわけではないが、同人音楽を「どう研究しうるのか」という「手法」を学ぶ上で有用である。著者の多くはポピュラー音楽を専門とする研究者なので、気になった著者について他の業績を探すなどすれば、読書の幅はより広がるだろう。

ポピュラー音楽研究(観点別/学問領域別)

 研究手法についてより広く知るためには、学問領域(社会学/経済学/人類学/構造主義etc.)ごとに研究上の注意点や代表的研究を紹介した三井徹[編訳]『ポピュラー・ミュージック・スタディズ : 人社学際の最前線』(音楽之友社2005)を推したい。本書は特に学位論文などを執筆する際、具体的にどのような欧文献に目を通せばいいのかについての優れたガイドとなるだろう。一方、「聴衆」「産業」「地理」「政治」といったカテゴリー単位で議論を展開している文献としてはNegus,Keith『ポピュラー音楽理論入門』(安田昌弘[訳]水声社2004)がある。
 産業、市場といった経済的観点からポピュラー音楽を研究する文献は多数存在するが、近年公刊されたもののなかでは毛利嘉孝『ポピュラー音楽と資本主義』(せりか書房2007)が示唆に富む。ポピュラー音楽の歴史については、アメリカを中心とするポピュラー音楽の成立と発展・分化の過程を概観した中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』(岩波書店1999)で体系的に学べるだろう。

 

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