セルゲイ・ラフマニノフ (1873-1943) 交響曲第3番 イ短調 Op. 44

 ラフマニノフの人生を考える上で1917年は無視できない重要な意味を持つ。19世紀後半の帝政ロシアに貴族の末裔として生まれたラフマニノフであったが、1917年にロシア革命(十月革命)が勃発したため、家族を連れて愛する祖国を離れなければならなくなったのだ。一時的なヨーロッパ滞在を経て1918年にアメリカへと渡った彼は、新天地での生活基盤を得るためピアニストとしての活動に忙殺されるようになり、また祖国を失ったことによるインスピレーションの枯渇も相まって作曲の筆はほとんど止まってしまう。よく知られた逸話として、友人に「なぜ作曲しないのか」と尋ねられたラフマニノフは「どうやって作曲しろというのか、もう何年もライ麦のささやきも白樺のざわめきも聞いていないのに」と応じたという(ライ麦・白樺はどちらもロシアを象徴する植物)。事実、全部で45番まである彼の作品番号(Op.)のうち、39番までが1917年以前のものであり、アメリカに移って以降は亡くなるまでの26年間にわずか6作品しか書かれていない。結局、彼は祖国の土を二度と踏むことができないまま、その生涯をアメリカで終えた。

 以上のような事実を踏まえつつ第3交響曲を見ると、その作品番号は44、つまり亡命後に書かれた数少ない曲の1つであることが分かる。完成したのは1936年、ロシア脱出から20年になろうかという時期のものだ。だがそんな第3交響曲にはスラブ的な旋律が多く用いられており、祖国への果てない望郷の念が強く現れている。また他方で、この曲にはアメリカ生活で培われた先端的で華麗なサウンドも多分に盛り込まれており、米露双方の特質の稀有な共存がその大きな特徴となっている。

 第1楽章はLento - Allegro moderato、序奏を持つソナタ形式。クラリネットなど少数の楽器によって序奏主題がひそやかに提示されるが、狭い音域の中をたゆたうように上下するこの旋律は極めてスラブ的であり、作曲者の祖国への思いを強く印象付ける。またこの旋律は循環主題の働きも持っており、各楽章に何度も登場することになる。唐突なオーケストラの咆哮によって提示部が始まると、オーボエとファゴットが序奏主題から派生した第1主題を切々と歌う。続く第2主題はチェロによって伸びやかに示され、他の楽器に引き継がれながら力強く展開していく。提示部の反復の後、展開部はヴィオラの不穏な呟きによって始まり、次第に幻想的な色彩を強めていく。刻々と変化する曲想、浮かんでは消える動機群。ミュート付きのホルンが序奏主題を奏でると再現部に入り、室内楽的なトーンも交えながら進む。最後は弦楽器が序奏主題を厳かに刻むなか、名残惜しそうに消えていく。

 第2楽章はAdagio ma non troppo - Allegro vivace、原則的には三部形式の緩徐楽章だが、中間部のAllegroが極端に肥大化しておりスケルツォ楽章としての機能を持つに至っている。曲はまずハープの伴奏を従えたホルンが序奏主題を変奏的に提示するところから始まる。古代ロシアの吟遊詩人を思わせるこの導入に続き、ソロヴァイオリンがため息のような下降を伴う主要主題を情感豊かに歌い出す。第1・第2ヴァイオリンが五連音を交互に弾き交わす印象的なブリッジを経て、副次主題はハープの伴奏の上にフルートで提示され、次第に盛り上がっていく。五連音のブリッジが再度登場すると、テンポを上げて中間部となる。錯綜した響きがしばらく続くが、やがて軍楽調のスケルツォ主題が弦楽器に出る。その後の展開はまるでおもちゃ箱をひっくり返したかのような賑やかで取り留めのないもの。スケルツォ部が一段落すると、五連音のブリッジがまたしても鳴り渡り、主部の主要主題がごく短く回想される。最後はやはり序奏主題によって静かに閉じられる。

 第3楽章はAllegro、自由なソナタ形式。ロシアの冬の祭りを彷彿とさせる賑やかな第1主題で始まり、トライアングルやタンバリンが舞い上がる粉雪のような輝きを添える。テンポが落ちると第2主題とおぼしき叙情的な旋律が弦楽器に出るが、ソナタ形式の定石からは外れた自由な調が選択されている(再現部も同様)。唐突に序奏主題が侵入してきたかと思うと、一瞬の間を挟んで荒々しいフガートとなる。多彩な響きの応酬が繰り広げられ、またラフマニノフのトレードマークである聖歌《怒りの日》の断片も加わってくるが、やがて激烈な《怒りの日》の強奏を経てそのまま再現部へとなだれ込む。コーダでは懐かしい過去を回想するかのような穏やかな歌をフルートが奏でるが、次第に「想い」は積み重なっていき、テンポも音量も少しずつ昂ぶっていく。そしてついに爆発する祖国への感情。超高速の木管楽器が燦めきを撒き散らすなか、序奏主題が鋭く打ち鳴らされ、一陣の風が吹き抜けるかのように颯爽と閉じられる。

 ――この風に乗り、彼の想いは遙かロシアへと届いたろうか。

出典

東広島交響楽団第21回演奏会、広島大学サタケメモリアルホール(2018.8.12)、プログラム。

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