【コラム】再起した街、再起する人

 広島の、ヒロシマの、あるいはHIROSHIMAの本質とはなんだろう。「悲劇の街」であり「破壊された街」であることが、広島のすべてなのだろうか。もちろん原子爆弾の災禍を記憶し後世へと語り継いでいくことは重要である。しかし悲劇をただ悲劇として反芻し続けるだけでは、我々は前に進むことができない。広島の本質はむしろ、そんな悲劇を乗り越え焦土の中から再起してきた姿にこそ求められるべきではないのか。

 HIROSHIMAと名付けられた交響曲が多くの感動を呼び、そしてそれ以上の大混乱を巻き起こしつつ我々の前から姿を消して、はや二年が過ぎた。想いを裏切られた人々の怒りはもっともだ。だが、このまま終わりにはできない、したくない。広島という街に連なる我々がなすべきは、あの「バクダン」会見によって音楽家生命の終焉まで覚悟した人物が、その後どのように再起し、どのような新しい芸術を創造するに至ったかを見届けることだと思うのだが、いかがだろうか。

 新垣隆氏による新作交響曲が、終戦記念日に、不死鳥(フェニックス)と名付けられたホールで世界初演される。演奏を受け持つのは東広島交響楽団。アマチュアとしてあのHIROSHIMAを全曲演奏した経験を持つ、唯一の市民オーケストラだ。そこで鳴り響く音楽こそ、再起する人の交響曲、真の意味での「広島の交響曲」となるだろう。

出典

東広島交響楽団第20回演奏会、広島国際会議場フェニックスホール(2016.8.15)、チラシ。

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