グスタフ・マーラー (1860-1911) 交響曲第7番 ホ短調〈夜の歌〉

 マーラーは夜行性の人間だったのではないか。いや、生活習慣のことではない。彼の気質や性分についての話だ。一般に、昼は明るく暖かく、健康的で豊かな、生者のための時間であるとされる。反対に夜は暗く冷たく、不健康で停滞した、死者の時間だ。だがマーラーの音楽とその人生を知れば知るほどに、彼は夜を愛していた、さもなければ抗いがたく夜に魅入られていたように思えてならない。たとえば交響曲第6番、9番、《大地の歌》などはいずれも、夜への(ひいては「死」への)強い憧憬を含んでいる。そして、そんな「夜への指向性」はどうやら、彼の第7交響曲を考える上でも非常に重要な意味を持っているようだ。

 愛好家の間では有名な話だが、マーラーの第7交響曲は楽章構成に難があると言われている。第1〜4楽章がまぎれもなく夜の世界を描いた音楽であるのに対し、最後の第5楽章で唐突に昼の音楽となるため、脈絡がないと批判されるのだ。「暗から明へ」という構図そのものについてはベートーヴェン以来のお決まりパターンだが、彼の第7交響曲の場合、「なぜ」「どのようにして」明へと至るのかというプロセスがすべて吹っ飛ばされているため、終楽章で勝利に酔おうにも、あまりに「取って付けた」ようで説得力がないのである。

 しかしよく考えてみれば、我々がこの曲のフィナーレに勝利を求めてしまうのは、そもそも昼が夜より望ましいものであるという前提があっての話だ。ひょっとすると夜行性のマーラーにとって、そうした「昼=勝利」の図式は決して自明ではなかったのではないか。遮光カーテンの奥に引き籠もる吸血鬼を太陽の下に連れ出すなど、当人には実に迷惑な話だろう。あるいは白い歯を輝かせながら「運動しないとメタボになっちゃうゾ」と爽やかに微笑んでみせるスポーツマンの、なんと鬱陶しいことか。だが不遜で無遠慮な昼の陽光ときたら、実に唐突に、強引に、夜を切り裂く。それは「昼の勝利」などではない。むしろ「夜の敗北」だ。だとすればこの第7交響曲のフィナーレは、彼の第6交響曲とはまた別種の、実に「悲劇的」な音楽、ということになりはしないか。

 第1楽章はLangsam - Allegro risoluto, ma non troppo、序奏部を持つソナタ形式。テノールホルン(トロンボーンと似た歌口を持つ卵形の楽器)が荒野をさまようかのような暗い序奏主題を奏で、そこから派生した第1主題が夜の嵐のごとく吹き荒れる。第2主題は伸縮するリズムに乗ってヴァイオリンが甘くささやく歌。展開部の前半では錯綜した響きとなるが、信号ラッパが鳴り渡ると神秘的な夢の世界に入る。再現部は序奏と同じ動きで始まるが、第二の展開部とでも言うべき発展をみせ、最後は力強く荘厳に閉じられる。

 第2楽章はAllegro moderato、序奏部を持つロンド形式で、「夜の歌T」と副題が付いている。宵闇に響く夜鳴き鳥の声で始まり、夜道をそぞろ歩くかのような主要主題がホルンに出る。第1トリオは伸びやかなチェロ、第2トリオは哀愁を帯びたオーボエで歌われ、その合間に主要主題が変奏されつつ差し挟まれる。副題の通り「夜の歌」であることは間違いないが、まるでシャガールの描く夜景のような、不思議な色彩に満ちている。

 第3楽章はスケルツォ、三部形式。Schatternhaft(影のように)と指示されている。闇にうごめく魑魅魍魎たちの舞曲。ぎこちない三拍子のリズムに乗って木管が悲しげに歌い、暗い情念をにじませたヴァイオリンがこれに応答する。トリオはオーボエの古めかしい歌で始まり、幻想的に展開した後、主部の舞曲が回帰する。コーダは弱音で消えるかのようにみせておいて、最後に不気味な一撃が響く。

 第4楽章はAndante amoroso、やはり三部形式で、「夜の歌U」と名付けられている。ギターとマンドリンが編成に加えられており、主部では古い時代の室内楽を彷彿とさせる音響世界が広がる。中間部では屋外の広がりを思わせる朗々とした旋律がチェロとホルンで歌われ、室内の親密さとのコントラストが強調される。

 第5楽章は「ロンド」と題されたフィナーレ。第1〜4楽章の世界観を完全に無視したティンパニのバカ騒ぎで始まり、ワーグナーの《マイスタージンガー》に似た主要主題を金管群が脳天気に吹き鳴らす。対置されるのはオーボエが先導するユーモラスな第1副次主題と、弦楽器のジグザグ音型による舞踊調の第2副次主題。音楽は以上の各主題に基づくロンドとして変奏的に展開していく。後半、第1楽章のテーマが現れ夜の勢力による絶望的な反撃が試みられるが、やがて第2副次主題に絡め取られ、そのまま圧倒的なまでの陽光に焼き尽くされてしまう。ギラギラと照りつけるこのハ長調の日差しを、マーラーはどのような思いで見上げるのだろう。

出典

東広島交響楽団第17回演奏会、広島大学サタケメモリアルホール(2014.8.17)、パンフレット。

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