P.I. チャイコフスキー (1840-1893) ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.35

 音楽に匂いはあるのだろうか。「またバカなことを」と叱られそうだが、ドレミファの各音に個別の色を感じる「色聴」があるくらいだから、旋律や和音に鼻が刺激されることもあってよいのではないか。では、クラシックのなかでいちばん“ニオイそうな”作品は何か。19世紀ウィーンの大物音楽評論家E.ハンスリックに尋ねてみれば、きっとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を勧めてくれるだろう。同曲の初演に立ち会ったハンスリックは、いつもの毒舌でそれを「悪臭を放つ音楽」と酷評した。
 それにしても、今日では高く評価されているこの協奏曲のいったいどこがハンスリックの鼻を突いたのか。その原因が「ロシアくささ」にあることはまず間違いないだろう。蕩々とした民謡風の旋律や荒々しい舞踊リズムが随所に現れる同作は、従来のドイツ・オーストリア風協奏曲に慣れていたハンスリックの耳(鼻?)には相当きつく感じられたはずだ。
 だが、そうしたロシアの臭気は決してこの作品の価値を減じるものではない。強烈な臭いは、時に麻薬的な魅力で我々をノックダウンする。腐ったタマネギを思わせるドリアンが「果物の王様」と呼ばれるのも、病院の薬品臭に似たアイラモルトがウィスキー通から絶賛されるのも、また多くの外国人には理解できない(らしい)納豆が日本の食卓に欠かせないのも、きっと理由は同じだ。臭いからといって何にでも蓋をするのではなく、むしろそれを積極的に堪能するのが人生を楽しむコツなのかも知れない。
 曲は全3楽章からなる。第1楽章はAllegro moderato、ソナタ形式だが展開がやや変則的だ。朝の陽光を思わせる爽やかな前奏に続き、第1主題・経過句・第2主題がいずれもソロヴァイオリンで提示されるのだが、その間オーケストラは伴奏や合いの手に徹し殆ど表に出てこない。何か物足りないモヤモヤ感を極限まで溜め込んだところで、展開部に至って初めて全管弦楽が第1主題を朗々と奏でるため、聴き手はまるでそこから提示部が始まったかのような錯覚に陥る。カデンツァを挟んで再現部となり、精力的なコーダを経て華々しく閉じられる。
 第2楽章はAndanteの三部形式で、「カンツォネッタ(小さな歌)」と題されている。木管楽器による賛美歌風の導入に続き、ソロヴァイオリンが物憂げな旋律を紡ぎ始める。同時期に書かれた第4交響曲第2楽章にも似た、虚脱感の強い音楽だ。中間部では若干明るさを取り戻すが、それも長くは続かない。
 第3楽章はAllegro vivacissimo、ロンド・ソナタ形式によるフィナーレ。前楽章から一変、激烈な導入に続いてソロヴァイオリンが「トレパーク」と呼ばれる急速な民族舞曲を奏でる。テンポを落とした第2主題も民族色が非常に濃厚なもの。音楽はこれらの両主題を軸に進み、体力の限界に挑戦するかの如き熱狂的なコーダとなる。

出典

東広島交響楽団第16回演奏会、広島大学サタケメモリアルホール(2013.8.18)、パンフレット。

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