セルゲイ・ラフマニノフ (1873-1943) パガニーニの主題による狂詩曲 Op.43

 ラフマニノフの作品を年表にまとめると、旺盛に続けられていた作曲活動が1917年(44歳の頃)を境に激減していることがわかる。出版に際して付されるオーパス(Op:作品番号)は彼の場合45番まであるのだが、そのうち実に39番までが1916年以前の作品に付されているのだ。つまり彼は、その後1943年に亡くなるまでの四半世紀の間、わずか6つの作品しか発表していないことになる。ロシア出身のラフマニノフにとって、1917年はそれほどまでに決定的な人生の一大転換点であった。この年、彼の祖国ではいわゆるロシア革命が勃発、帝政ロシアが崩壊する。家族とともに祖国を離れたラフマニノフはパリを経由してアメリカへ移住、その後は二度とロシアの土を踏むことがなかった。

 新天地アメリカでの彼の活動時間は、家族を養っていく必要から、もっぱら演奏家(ピアニスト・指揮者)として費やされている。作曲の筆は実に10年にわたって完全に止まり、その後も前述した6作品が散発的に生み出されたのみであった。だが、これら晩年の作品の中には、長い演奏キャリアを通じて培った効果的な音楽語法と、日増しに強まる祖国への郷愁が見事に入り交じった傑作が少なくない。Op.43の狂詩曲もそんな作品群のなかの一つである。

 タイトルにあげられた「パガニーニ」は、19世紀初頭に活躍したイタリアの伝説的ヴァイオリニスト。当時の常識を覆す圧倒的なテクニックで人々を魅了した。そんなパガニーニが残したヴァイオリン曲《24のカプリース》から最終曲の主題を借用し、ピアノとオーケストラのための変奏曲としてまとめられたのが、《パガニーニの主題による狂詩曲》である。タイトルを「変奏曲」とせず敢えて「狂詩曲」としたのは、後述する構成上の自由さをラフマニノフ自身が意識していたためだろうか。

 作品の全体は、序奏部と主題提示、そして24の変奏で構成されている。だがその導入部分は極めて変則的であり、叩き付けるような短い導入に続いて、いきなりオーケストラによる第1変奏が始まる仕掛けになっている。通常の変奏曲であれば最初に主題提示があり、それから変奏に移るのだが、この作品では順番が入れ替わっていて、第1変奏の後でヴァイオリンによる主題提示が行われるのだ。続く第2変奏で初めてピアノが旋律を担当し、そのまま第5変奏まで軽妙で切れ味の鋭い音楽が続く。第6変奏で拍節感がやや希薄になり技巧的な展開となった後、第7変奏では主題が後景に退き、ピアノに聖歌「怒りの日」に基づく副次主題が出る。デモーニッシュな迫力に満ちた第8〜第9変奏を経て、第10変奏では再び「怒りの日」が重々しく歌われる。雰囲気をがらりと変えた第11変奏は神秘的なトレモロで始まり、カデンツァ風の展開を見せる。 第12変奏は高級なバーのBGMを思わせる、ムード感ある大人の舞曲。荒々しい第13変奏、勇壮な軍楽を思わせる第14変奏と続いた後、第15変奏は独奏ピアノを主体に進められる。 気怠そうな空気に支配された第16〜第 17変奏の後、全体の白眉ともいえる第18変奏となる。全く新しい主題が登場したかのように聞こえるが、実はこの美しい旋律は変奏主題の反行形(五線上の高低を逆行させた音型)に由来するもの。いかにもラフマニノフらしいロマンチックな曲想であり、この部分だけがメディア等で露出することも少なくない。第19変奏からはテンポが早くなり、次第に緊張感を高めていく。弦楽器のざわめきに覆われた第20変奏、リズムの急激な転換が印象的な第21変奏を経て、第22変奏では力強い頂点が形成された後、短いカデンツァに転じる。第23変奏では主題が比較的明瞭に回帰するが、やはりカデンツァへと移行する。ラストとなる第24変奏は煌めきをまき散らすようなピアノで始まり、「怒りの日」の回帰を挟んで華々しいフィナーレとなる。ところが大音量は最後の2小節で一気に弱音に転じ、肩すかしを喰らわされたかのような不思議な幕切れとなる。

出典

NHK交響楽団 大分公演、iichiko総合文化センター iichikoグランシアタ(2012.3.3)、パンフレット。

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