アラム・イリイチ・ハチャトゥリアン (1903-1978) バレエ音楽《ガイーヌ》より

 音楽に国境はない、音楽は世界共通言語だ、などという言い回しがずいぶん胡散臭いものであることは、たとえば初めてベルカント唱法を聴いた明治の日本人がどのような反応を示したかを調べてみればすぐに理解できる。音楽に対する嗜好が文化的・社会的に学習されるものであることは間違いない。しかし一方、ある種の音楽的特徴が(その音楽に対する好き嫌いや理解の程度とは無関係に)時代や地域を越えて人々に共通の影響を与える、というのも否定しがたい事実だ。そうした現象は、特にリズムを巡って顕著に確認されるだろう。落ち着いた持続的なリズムが聴取者の眠気を誘うことは世界各地の子守歌を収集することで証明できるはずだし、荒々しく急速なリズムが聴き手に強い興奮やトランスをもたらす点についても同様である。

 アルメニア出身でソヴィエト時代に活躍した作曲家ハチャトゥリアンの音楽には、そうした「リズムの魔力」が満ち溢れている。なかでも彼の代表作である《ガイーヌ》は、まさにリズムのオンパレードとでも呼ぶべき佳作であり、頭でなく脊髄で反応できるナンバーが続く。演奏会用には作曲者自身のセレクトによる3つの組曲が存在するが、あまり普及しておらず、実演やCDではいくつかの代表曲が自由に組み合わされることが多い。今回のプログラムでは第1組曲を中心に、最も有名な「剣の舞」を加えた構成でお送りする。

 バレエの舞台はソヴィエト時代(つまり作曲時点における「現在」)の集団農場(コルホーズ)。原典版の粗筋は、ヒロインのガイーヌが夫の裏切りを乗り越えて新たな幸せを掴むというものだが、その裏にはどうやらソヴィエトの農業政策を賞賛する文脈も潜んでいるようだ。その意味で、《ガイーヌ》は政治色を強く帯びた作品だとも評せよう(なお後年の改訂版ではストーリーに大幅な変更が加えられている)。

 1.「剣の舞」は祝宴の場で披露される山岳民族クルド人の勇壮な踊り。ハチャトゥリアンの代名詞ともいえる曲だが、本人はその過剰な人気に若干うんざりもしていたらしい。2.「バラの乙女たちの踊り」も同じく祝宴で踊られるもので、若い娘たちの快活な姿にふさわしいチャーミングな音楽。3.「アイシェの目覚めと踊り」は、クルド人の娘アイシェを描いたもの。エキゾチックかつ非常に蠱惑的な一曲。4.「山岳民族の踊り」もやはりクルド人のための曲。後半では変拍子が炸裂する。5.「子守歌」はガイーヌが我が子のために歌う子守歌だが、そこには夫に対するガイーヌの苦悩も滲み出ている。6.「レズギンカ」は「レズギン人の踊り」に由来するカフカスの民俗舞曲。尽きることを知らない野性的なエネルギーが縦横に発散される。

出典

東広島交響楽団第15回演奏会、広島大学サタケメモリアルホール(2012.8.14)、パンフレット。

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