ドミトリー・ショスタコーヴィチ (1906-1975) 交響曲第7番 ハ長調〈レニングラード〉Op.60

 かつて「レニングラード」(レーニンの街)と呼ばれた都市は現在、サンクトペテルブルグ(聖ペテロの街)へと名を変えている。帝政ロシアの首都であり、今日でもモスクワに次ぐロシア第二の都市だが、この街は第二次世界大戦中ヒトラー率いるドイツ軍に約900日(!)に渡って包囲され、100万人(!!)ともいわれる死者を出した。同市で暮らしていたショスタコーヴィチはこの包囲戦のなかで第7交響曲に着手するが、やがて街から脱出、1942年に疎開先で作品を完成させている。

 当初、この第7交響曲はファシズムとの戦いを描いた象徴的作品として世界中でもてはやされた。だが、そうした安直な評価を覆す書物『ショスタコーヴィチの証言』が作曲者の死後に発表され物議を醸すことになる。彼は同書のなかで、「レニングラードを破壊したのはヒトラーだけでなくスターリンでもある」という旨の発言をしているのだ。また彼は、戦争に「救われた」とさえ述べている。これらは一体どういう意味なのだろう?

 それを理解するには当時の時代背景を知らなければならない。第二次世界大戦に先立ちソヴィエトに独裁体制を敷いたスターリンは、その意に沿わない無数の人々を殺戮する大粛清を行った。当局に睨まれた親族が、友人が、ある日突然「いなくなる」。しかしそれを非難することはおろか、うっかり涙することさえできない。「国家の敵」のために涙をこぼせば、危ないのは我が身なのだ。だが、戦争が始まった「おかげ」で、人々は泣き叫ぶための大義名分を得た。作曲家も、作品を通じて悲しみや怒りを存分に表現できるようになっただろう。それは恐ろしく皮肉な話だ。ヒトラーという非常に分かりやすい敵がいなければ、悲しみや怒りといった、人としてごく当然の感情さえ許されなかったのだから。第7交響曲は、そんな極限状態のなかで誕生している。

 ところで、実を言うと先に引用した『証言』は、今日その信憑性が疑われている(本当にショスタコーヴィチ本人がそう語ったのか?)。だが、その内容は全くデタラメというわけでもなさそうだ。少なくともそれは、当時のソヴィエトを生き延びた人々の声を十分代弁しているように思われる。

 第1楽章はAllegretto、展開部に独自の主題を持つ変則的なソナタ形式。前奏なしで弦楽器に現れる堂々とした第一主題は、一般に「人間の主題」と呼ばれる。フルートによるブリッジを経て、ヴァイオリンに出る第二主題はテンポを落とした美しく清らかな楽想。スネアドラムのかすかな響きが展開部の到来を告げると、人を小馬鹿にしたような新主題が登場し、ひたすら反復される中で次第に力感を高めていく。よく指摘されるように、その手法はラヴェルの《ボレロ》に似たものだが、サウンドは遙かな悪意に満ちている。いつ果てるとも知れぬ怒濤のフォルティシモ。暴虐の限りを尽くした嵐の後には、ほとんど原型を留めないほど歪(いびつ)にねじ曲げられた第二主題が、拷問の後の亡骸のように取り残される。ホルンによる暗い弔いの鐘が鳴り響くが、楽章の最後には再びスネアドラム。「まだ終わらないよ」とほくそ笑むトランペットの、なんと邪悪なことか。

 第2楽章はModerato (poco allegretto)、三部形式。ふざけているのか真面目なのか、掴み所のない舞曲。弦楽器のみの導入主題に続き、オーボエが鬱々とした旋律を歌う。中間部は3拍子と2拍子が頻繁に入れ替わる錯綜したもの。ヒステリックな小クラリネットの金切り声に続き、金管楽器が軍楽を思わせる凶猛な旋律を吹き鳴らす。主部の再現では楽器編成が変更され、バスクラリネットがいっそう陰惨な影を落とす。

 第3楽章はAdagio、三部形式。木管を主体とするコラールで始まるが、宗教的な安らぎはなく冷徹。応答するヴァイオリンも、荒れ野を思わせる寂寞たるもの。フルートによる息の長い「問わず語り」と、それに続く悲哀に満ちた旋律は、透明な涙にも似た美しさを湛える。一転して焦燥感に塗り込められた中間部は、まるで巨大な重機に追い立てられるかのよう。興奮の頂点で冒頭のコラールが回帰し、いっそう感傷的な再現部へと移る。最後は不気味なドラの響きを伴いながら、そのまま途切れることなく終楽章へと続く。

 第4楽章はAllegro non troppo、古典的構成を取らず大きく3つの部分から成る。重々しいティンパニの陰でヴァイオリンが不安定な旋律を歌うが、それに対する低弦のリズミカルな応答こそが、後に楽章全体を支配する主要主題の核となる。力強い闘争の後、重い足を引きずるような3拍子の音楽に移行するが、やがて主要主題がメロディアスに変形されて登場し、反復の中で次第に感情を昂ぶらせていく。極限にまで引き絞られた緊張感は遂にその頂点でハ長調に転じ、「人間の主題」を壮麗に歌い上げる。別動隊の金管群も総動員した非常識なまでの大音量のなか、主要主題が何度も(その勝利に念を押すかのように)繰り返され、圧倒的な終結を迎える。

出典

東広島交響楽団第13回演奏会、広島大学サタケメモリアルホール(2011.8.15)、パンフレット。

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