ロベルト・シューマン Robert Schumann (1810-1856) ピアノ協奏曲 イ短調 Op. 54

 TVアニメ『鉄腕アトム』の主題歌(同タイトル、谷川俊太郎作詞)には興味深い一節がある。「心やさしい ラララ 科学の子」がそうだ。ちなみに二番の同じ箇所は「心ただしい」であり、さらに三番の終結は「みんなの友だち 鉄腕アトム」となる。高度経済成長のただ中にあって、科学は明るい未来を運んできてくれる素晴らしい「何か」であった。そんな科学の申し子であるロボット少年が、必然的に心優しい友だちであり得た時代の感性が、どうもこの歌の背後には潜んでいるように思えてならない。遺伝子組み換え大豆や原子力発電に対して言いようのない恐怖を覚える21世紀人は、これほどアッケラカンと「科学の子」を受け入れることができるだろうか。
 「科学」や「機械」のイメージは、おそらく時代によって大きく変わる。音楽においても「機械的な」という形容は今日ネガティブな意味で用いられる場合が多いが、しかし科学的に駆動するマシンが豊かさの象徴だった時代、規則的なリズムや力強い反復、歯車が噛み合うような音符の交錯は(要するにこの協奏曲の第3楽章のことだ)、今日以上の愉悦を聴き手にもたらしていたのかもしれない。思えば、ピアノを弾く指を鍛えるため機械仕掛けの無茶な特訓に励んだのもシューマンだった。機械化した身体による機械的な音楽と、第1楽章の濃密なロマンティシズムとの、不思議な共存がここにはある。
 シューマンにとって唯一となるこのピアノ協奏曲は、まず1841年に第1楽章が独立した作品(ピアノと管弦楽のためのファンタジー)として作曲され、その後1845年に第2・3楽章が追加されて現在の形となった。もちろん主役がピアノであるのは確かだが、ピアノ単独の華々しい活躍よりもオーケストラとの対話に比重が置かれた作品となっている。
 I. Allegro affettuoso、イ短調、4/4拍子。叩き付けるような前奏に続いて木管楽器が歌う第1主題は、ロマン派の神髄ともいえる感傷的なもの。ピアノがこれを引き継いだ後、いくぶん情念的な副次主題が弦楽器で歌われる。第2主題(らしきもの)はクラリネットにハ長調で出るが、音型が第1主題と殆ど同じで独立した主題とは見なしにくい。展開部ではアルペジオ伴奏の上にピアノとクラリネットが第1主題の変形を出す。前奏の動機が荒々しく差し挟まれた後、定石通りの再現部を経てピアノのカデンツァに至る。コーダはテンポを上げ、情熱的に終わる。
 II. Intermezzo: Andantino grazioso、ヘ長調、2/4拍子。三部形式。ささやくようなスタッカートでピアノとオーケストラが愛らしい対話を始める。中間部はチェロが歌う伸びやかなもの。主部を繰り返した後、第1楽章の主要主題が回想され、そのまま休みなく終楽章へと移る。
 III. Allegro vivace、イ長調、3/4拍子。タップを踏むような第1主題、規則正しい行進を思わせる第2主題、いずれもメカニカルなリズムの快楽に満ちている。展開部前半では第1主題が対位法的に扱われるが、重層的な響きの中でも推進力が失われることはない。精緻な反復運動がもたらす麻薬的な魅力はコーダに入って一層高まっていき、圧倒的なクライマックスへと至る。

註:本稿の執筆は原発事故前の2010年です。また歌詞の引用は適正なものであると考えます。

出典

東広島交響楽団第12回演奏会、広島大学サタケメモリアルホール(2010.8.14)、パンフレット。

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