リヒャルト・シュトラウス (1864-1949) 交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》 Op.30

 シュトラウス32歳の時に発表された交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》は、ドイツの哲学者ニーチェによる同名の著作を標題とした音楽である。ニーチェの本は、古代宗教のひとつゾロアスター教(拝火教)の開祖ツァラトゥストラを主人公とし、その言動を多数の短い章にまとめるという体裁を採ったものだが、シュトラウスはそのなかから幾つかをサブタイトルに選び、自由な順番で組み合わせている。

 上演にはオルガンやハープを含む大編成オーケストラが必要であり、また特に弦楽器が細かな声部に分割されることもあって全体的に高い技術が要求される。演奏時間は約30分であり交響詩としては長大な部類に入るが、前述の通り要所毎にサブタイトルが配されているので、導入部と合わせ計9つの節に分けて考えることができる。本稿では以下、これら9節に準じて解説を行うが、より大まかに作品全体を捉えようと思うならば、第一部(2〜5節)、第二部(6〜7節)、第三部(8〜9節)と見るのが適当だろう。

 1.導入部:地の底から響いてくるかのような低音に支えられてトランペットに現れる〈空五度の動機〉(C-G-C)は、無機質だが宇宙的な広がりを持つ。ツァラトゥストラの「教え」と見るのが適当だろうか。映画音楽として使用されたこともあり、この導入部だけが極めて高い知名度を獲得している。

 2.世界の背後を説く者について:まず全曲を通じて非常に重要な役割を担う上昇音型がファゴットで提示される。導入部の空五度に比べ幾分情動的なこの動機を、以下では便宜上〈人間の動機〉と呼ぼう。続いてホルンに現れる厳かな動機にはCredo in unum deum(我は唯一の神を信ず)というラテン語が添えられており、これを受けて「敬虔にmit Andacht」と指示された宗教的な楽節が導き出される。なお、タイトルにある「世界の背後を説く者Hinterweltlern」はニーチェによる造語だが、本のなかでは「人間世界の後ろ側に神の存在を信じる人々」といったニュアンスで用いられている。時折CDなどで「後の世の人々」とする例を見受けるが、これは誤訳だろう。信仰による安らぎを表現するかのような美しい音楽だが、注意しなければならないのは、そうした神への帰依をツァラトゥストラ(=ニーチェ)は「神は死んだ」という有名な言葉で否定している、という点だ。

 3.大いなる憧れについて:〈人間の動機〉が提示された後、導入部に由来する〈空五度の動機〉が毅然とした表情で木管・トランペットに現れる。〈Credoの動機〉が再び曲想を宗教的な安らぎへと引き戻そうとするが、ツァラトゥストラの強い意志を思わせる〈空五度の動機〉はそれを許さない。

4.歓喜と情熱について: 奔放な感情のうねりを表現するかのような劇的な主題が、弦楽器を中心に提示される。「歓喜」といっても決して脳天気な雰囲気ではなく、貪欲なまでのアグレッシブさが支配的である。

 5.墓の歌:第4節の主題を引き継ぎつつ、そこに〈人間の動機〉や〈空五度の動機〉を絡めながら次第に沈静化していく。独立した部分というより、第2〜4節をまとめる小結尾と見るべきだろう。

 6.学問について:〈空五度の動機〉を軸とする低速のフーガ。確かにフーガは学問的な性格の強い表現であり、サブタイトルにぴったりだ。難問を前に答えが見つからないような閉塞感が続くが、〈人間の動機〉が鳴り渡るとようやく解答に辿り着いたかのように晴れやかな楽想となり、〈歓びの動機〉とでも呼ぶべき新しい旋律が木管で歌われる。しかしそうした開放感も長くは続かず、再び曖昧模糊とした思索に埋没してしまう。

 7.快癒に向かう者:第二のフーガ。ただし楽想は先行する第6節よりも力強く、真理に向かって突き進んでいくかのような推進力を持っている。やがてクライマックスが築かれると、導入部への回帰を思わせる壮大さをもって〈空五度の動機〉が轟き渡る。いったん沈黙した後、節の後半では木管のトリルによる奇妙な浮遊感のなか、信号ラッパが意味深げな呼びかけを繰り返す。難解な表現が多い同曲の中でも、とりわけ掴み所のない部分だといえよう。

 8.舞踏の歌:圧縮反復される〈空五度の動機〉を前奏に、ソロヴァイオリンが3拍子の舞曲を奏で始める。伴奏の弦楽器はしばしばプルト単位で分割されるため、その響きは繊細かつ緻密だ。やがて〈人間の動機〉や〈歓びの動機〉も舞踊に加わり感動的な盛り上がりをみせる。トロンボーンが〈人間の動機〉を高らかに吹奏すると、興奮の頂点で次の節に移る。

 9.夜のさすらい人の歌:鐘が計12回打ち鳴らされ深夜の訪れが告げられると、昂ぶった舞踏の熱気は徐々に醒めていく。〈人間の動機〉が緩やかに奏でられ、静謐な夜の神秘を思わせる木管楽器のなかに全ては融け込んでいく‥‥はずなのだ、普通のエンディングならば。ところが〈人間の動機〉から続く木管の和声はロ長調、対して低音弦がピチカートで呟く〈空五度の動機〉は導入部で採用されていたハ長調。つまり半音ほどズレた二つの調が併存したまま、その齟齬を無視して曲が閉じられるのである。楽想自体は安らぎに満ちたものであるため、その不気味さはいっそう際立ったものになっている。ツァラトゥストラの教えは結局人々の耳に届かなかった、ということなのだろうか。なんにせよ、この終結は「奏者の音程が悪い」わけではないことだけご承知おき願いたい。

出典

東広島交響楽団第12回演奏会、広島大学サタケメモリアルホール(2010.8.14)、パンフレット。

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