ジョージ・ガーシュウィン (1898-1937) 《ラプソディー・イン・ブルー》

 作曲家が自分の作品に「ラプソディ(狂詩曲)」というタイトルを付けるとき、そこには二つの意味が込められることが多い。第一にそれは、「民族的な旋律を素材に扱った作品ですよ」という宣言である。ラプソディの多くが特定の地域や民族の名前と結びついているのは(ハンガリアン・ラプソディ、スペイン狂詩曲etc.)、そのためである。また第二にそれは、「形式にはあまり配慮していませんよ」という断り書きでもある。ソナタ形式とか循環主題とか、そういう堅苦しいことは考えず気の向くままに作曲しました、という言い訳でもあるのだ。

 なぜそんな話をしたかというと、《ラプソディ・イン・ブルー》がまさにこの二つの特徴を兼ね備えた、典型的な「ラプソディ」だからである。アメリカの作曲家ガーシュウィンによって1924年に作曲されたこの曲の最大の特徴は、西洋の伝統的なクラシックと、アメリカで黒人らが始めたジャズとを、いわば「折衷」した点にある。こうしたスタイルの作品は、実はガーシュウィンに限らず同時代の多くのアメリカ人作曲家によっても試みられていたのだが、我々はその背後に、ヨーロッパのまねごとではないアメリカ独自の芸術を目指そうとする時代の風潮があったことを見逃すべきではない。もちろん、実際には単一の「アメリカ民族」など存在せず、そのアイデンティティは結局のところ幻想に過ぎないのだが、それでも《ラプソディ・イン・ブルー》がそうしたアメリカらしさを志向した作品の一つであることには違いがない(事実、ガーシュウィンは当初《アメリカン・ラプソディ》というタイトルを検討していた)。

 またこの作品は、複数のテーマを順番に並べただけの極めて単純な作りになっている。各テーマは、勝手に入れ替えたりカットしたりしても曲の全体像に何の影響もないほど、互いに殆ど関連性を持っていない。指揮者のバーンスタインは、この曲の旋律的な魅力を認めつつも「作品(Composition)とは呼べない」と評したという。Composeという単語が元々は「構成する」、つまり素材を組み合わせて統一的な全体像を形作る、という意味であることを考えれば、ただの継ぎ接ぎではCompositionたりえない、という主張もあながち的外れとは言えないだろう。

 だが、そうした前時代的なナショナリズムの影や形式の単純さにもかかわらず、《ラプソディ・イン・ブルー》はウィットに富む旋律と陽気なリズム、そして何より独奏ピアノの華やかな響きゆえに、今日まで高い人気を博してきた。オーケストラとピアノによる音の饗宴は、終和音に至るまで万華鏡のように絶えず変化し続ける。誰もが気負わず楽しめるその音楽は、その意味で確かに、「大衆の時代」を切り開いた20世紀アメリカの象徴であると言ってもよいだろう。なお、この曲が作曲された当時、ガーシュウィンはオーケストラの扱いにまだ不慣れであったため、編曲は友人のグローフェが担当した。当初は比較的小編成のアンサンブル用だったが、現在一般に知られている管弦楽版は1926年にグローフェによって再編曲されたものである。

出典

東広島交響楽団第6回演奏会、広島大学サタケメモリアルホール(2007.8.18)、パンフレット。

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