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作曲者紹介introduction

ロベルト・アレグザンダー・シューマン Robert Alexander Schumann
(1810.6.8~1856.7.29)

ドイツ・ロマン派を代表する作曲家ロベルト・シューマンは、ドイツのザクセン王国、ツヴィッカウの裕福な家庭に生まれました。書籍出版業を営む父と、医師の娘である母親のもとで育ったシューマンは、幼少期より文学及び音楽の才を現しました。

ライプツィヒ大学およびハイデルベルク大学で法科を専攻しながらも音楽への情熱は更に高まり、自曲の試作などを書き溜めながら、名ピアノ教師ヴィークに弟子入りしピアニストを目指します。しかし、独自の練習法により右手を痛め演奏家への道を断念。その後は作曲家として、また、評論家としての人生を歩むことになりました。シューマンが1834年に創刊した音楽雑誌『音楽新報』は、現在でもドイツで刊行されています。

シューマンの人生と創作活動には、ヴィークの娘クララとの恋愛、結婚生活が多大な影響を与えました。
当時25歳の無名の音楽家シューマンと、9歳年下の才能溢れる人気ピアニストであったクララとの交際は、クララの父ヴィークに激しく反対され、シューマンは長い年月に渡り苦悩と葛藤の日々を過ごします。こうした状況の中、「子供の情景」や「クライスレリアーナ」などのピアノ曲を中心にクララへの想いを綴った作品が次々と書かれ、数多くの名曲が誕生することになったのです。

裁判沙汰にまで発展した父ヴィークとの関係は一向に回復せず、1840年、ついに父親の同意を得られないまま二人は結婚。シューマンは歌曲、交響曲、室内楽の分野でも次々に名作を生み出します。こうして作曲家としての地位を確立したシューマンに対し、義父ヴィークもようやく心を開くようになりました。

子供好きだったシューマンはクララとの間に8人の子供を儲けます。しかし超売れっ子の名ピアニストであったクララにとって、家庭、育児、演奏活動の両立は決して楽ではなく、二人の結婚生活は必ずしも円満ではありませんでした。それでもシューマンは演奏家の夫として妻の活動を支えながら創作の筆を進めていましたが、若い頃からの持病になっていた鬱の症状が次第に悪化。聴覚異常や幻覚症状に悩まされ、44歳の時にライン川で入水自殺を図ります。救出され一命を取り止めたものの、精神病院での療養生活も虚しく、2年後、46歳の生涯を閉じることになりました。

シューマンの音楽は、甘く、激しく、切なく、そして複雑で、この上なく美しい。


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