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作曲者紹介
introduction
エドワード・エルガー Edward William Elgar(1857.6.2〜1934.2.23)
エドワード・ウィリアム・エルガーは、19世紀終わりから20世紀初めにかけて名声を高めた、イギリスを代表する作曲家・指揮者です。
1857年、イギリス・ウースター近郊のブロードヒースに生まれます。父親は楽器商人として働く傍ら、教会オルガン奏者でもあり、またヴァイオリンの腕前も相当なものでした。エルガーはほぼ独学でピアノ、弦楽器、ファゴット、作曲を学び、音楽学校への進学を望みますが、父親の勧めと経済的な理由もあり、16歳で法律事務所の事務員の職に就きます。この仕事が本意ではなかったエルガーは、ヴァイオリンやオルガンの公演を行うなど、並行して音楽の勉強を続けました。エルガーのヴァイオリンの演奏技術はかなりのもので、プロとして通用する程だったそうです。
数か月後、音楽の道に専念すべく法律事務所を退職し、ピアノとヴァイオリンの講師をしながら合唱団や楽団の指揮者の職を得ます。また父の後任として教会オルガニストも務めました。合唱団や楽団のための作品を手掛け、自ら奏者として演奏にも加わり、こうした貴重な経験が彼の創作活動の大きな糧となっていきました。
1899年、「創作主題による変奏曲(エニグマ変奏曲)」の初演によってエルガーは世界的作曲家として評価を得ます。そして後の1901年から1930年にかけて作曲された5つの「威風堂々」の発表により、その地位と名声は不動のものとなりました。
久しく優れた才能に恵まれなかったイギリス音楽界にとってエルガーの功績は多大であり、イギリス王室からも高く評価され、王室楽長に就任、そして国王の音楽師範を務めるまでになりました。また栄誉称号として47歳の時にナイト、74歳で準男爵の称号を与えられています。
エルガーが音楽活動を行う上で非常に大きかったものは、8歳年上の妻アリスの存在でした。アリス亡き後はあまり創作の筆は進まず、それでも交響曲やピアノ協奏曲などの大曲に着手したものの、何れも未完のまま、1934年2月、大腸がんのため76歳で生涯を閉じました。
◆◆おすすめ作品解説◆◆
2つの小品 op.15 「夜の歌」「朝の歌」(ヴァイオリンとピアノのための)
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