チェコを代表する作曲家アントニーン・ドヴォルザークは、プラハ近郊の村ネラホゼヴェスで生まれました。スメタナとともにボヘミア楽派とも呼ばれ、チェコ語の発音に近いドヴォルジャークと表記されることもあります。
実家は宿屋兼お肉屋さん。両親はドヴォルザークに家業を継がせることを望みましたが、6歳でヴァイオリンを始めると見る間に楽才を表し、叔父の強い勧めで16歳の時にプラハのオルガン学校へ進学。叔父からの僅かな援助を頼りに勉学に励み、卒業後はヴィオラ奏者として演奏活動をしながら様々な作品を書き溜めていきました。
少しづつ作曲家として認められるようになるとブラームスの目に留まり、紹介された出版社からドヴォルザークの作品が世界に広められることになります。ここで出版された「スラヴ舞曲」は、チェコの民族的な旋律やリズムを特徴とする彼の代表作となりました。
国際的な知名度となったドヴォルザークはプラハ音楽院教授に就任し、後にニューヨークに新設されたナショナル音楽院の院長として迎えられ渡米します。チェコの田舎で育った彼が大都会ニューヨークへ渡り、また黒人霊歌などの文化に刺激を受けて作曲されたこの頃の傑作が、交響曲第9番【新世界」や弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」です。
多大な名声を得たドヴォルザークでしたが、その生活は多忙を極め、また故郷を愛して止まなかった彼は、3年後チェコへ帰国します。再びプラハ音楽院で教鞭をとりながら創作活動を続け、交響曲や管弦楽曲、器楽曲、オペラ、歌曲、教会音楽に至るまで、様々な分野にわたり数多くの名曲を残したドヴォルザークの生涯は62歳で閉じられることとなり、その葬儀は国葬として執り行われました。
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