ミリィ・アレクセーヴィチ・バラキレフはロシアの作曲家です。
ニジニ・ノヴゴロドの下級役人の家に生まれ、18歳でサンクトペテルブルクへ上京。19歳の時に演奏した自作のピアノ協奏曲でグリンカに高く評価され、ピアニスト・指揮者として活動を始めました。
バラキレフの作風はスラヴと東洋の融合を計り、ロマン派との結合を目指しました。ロシア音楽の普及を目指して活動し、ロシア民謡の収集にも熱心に取り組み、それらを題材とした独自の書法は、ピアノ曲「イスラメイ」や交響詩「タマーラ」などに反映されています。
また、ムソルグスキー、キュイ、リムスキー=コルサコフ、ボロディンらと友交を結び、「ロシア五人組」の指導者として国民音楽の普及に力を入れ、1862年には無償の音楽学校を設立し学長を務めます。しかし無償のため収入にはならず、やがて経済的にも精神的にも困難に陥り、学長を辞任後、音楽の世界から遠ざかることになりました。
活動期間の短さから残された作品の数は多くはありませんが、グリンカの後継者としてロシア音楽史に与えた影響は大きく、力強いその書法は五人組の仲間たちによって受け継がれていきました。
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