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作曲者紹介introduction

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン Franz Joseph Haydn(1732.3.31~1809.5.31)

「交響曲の父」と言われるフランツ・ヨーゼフ・ハイドンは、古典派を代表するオーストリアの作曲家です。

ハイドンはハンガリーとの国境に近いオーストリアのローラウに生まれました。
8歳でウィーンの聖歌隊へ入団が認められ、変声期を迎える17歳まで聖歌隊員として働きます。しかし退団後は暫く職に就けず、その間本格的に音楽を学び創作活動に励みました。

29歳の時、ハイドンの人生において大きな転機が訪れます。ハンガリーの貴族で大地主、また事業家であったエステルハージ侯爵に見出され、以後30年もの間、この家の音楽に係る全ての業務を担う楽長として雇われることになりました。週二回のオペラとコンサート、侯爵の居室、食卓、礼拝での日々の演奏といった多彩な業務をこなす多忙な生活は、オペラやミサ曲、交響曲、弦楽四重奏曲、鍵盤楽器のソナタ、室内楽、歌曲や民謡に至るまで、あらゆるジャンルの作品を生み出す日々となったのです。

エステルハージ家はハンガリー国境近くのアイゼンシュタットに宮を構えていました。当時の作曲家は、自分が作りたい音楽ではなく求められる音楽を作っていた時代です。ハイドンが仕える屋敷は音楽の中心地ウィーンから離れていたこともあり、作り出される音楽は独創的な作品となり、やがてハイドンの評判は屋敷の外へも知られるようになりました。

侯爵の死後、30年に及んだ楽長の職を辞すことになりますが、その後はロンドンへ赴いて演奏会を開き、ここでも高い評価を受け、更にその名を広めることになりました。ウィーンへ帰国後も創作意欲は衰えず、自身の心の赴くまま、晩年体調を崩すまでの77年間を音楽に捧げる人生を送りました。

ハイドンが残した作品は700曲以上にも及びます。当時存在していた全てのジャンルの作品を手掛けており、バロック期の終わりからロマン派初期まで半世紀以上に渡って活躍したハイドンの作品は、まさにその時代の音楽史そのものと言えるでしょう。


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