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作曲者紹介introduction

ヨハネス・ブラームス Johannes Brahms(1833.5.7~1897.4.3)

ヨハネス・ブラームスは、バッハ、ベートーヴェンと並び、ドイツ音楽家3大Bと称される作曲家です。

ドイツ・ハンブルクに生まれ、コントラバス奏者であった父親からピアノを教わり、幼少期よりその才を発揮します。15歳で自作曲も取り入れた単独演奏会を開き、その名を世間に広める一方、家計を助けるため、13歳から居酒屋などのピアノ弾きとして働いていました。

20歳の年、ブラームスの音楽家人生に大きな影響を与える人物との出会いが重なります。ハンガリーのヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム、そしてシューマン夫妻です。この大音楽家たちはブラームスの才能に感銘し、彼の名を世に知らしめる力となり、生涯に渡り親交を持ちました。

中でもシューマン一家との繋がりは深く、精神を病み自殺未遂を起こしたシューマンが療養施設に入った後、2年間に渡りデュッセルドルフのシューマン家に滞在し、子供たちの世話など生活を助け、また妻クララの精神的な支えとなり絆を深めました。1856年シューマン亡き後は、ヨアヒムと共にハンブルクで追悼演奏会を開催し、シューマンのピアノ協奏曲を演奏しています。

1857年にクララ達がベルリンへ移ったのを機に、ブラームスはデトモルトへ赴きます。宮廷楽団や合唱団の指揮者、宮廷ピアニストの職に就き、この経験は、後にピアノ協奏曲や交響曲、室内楽など、多くの管弦楽作品を生み出すきっかけとなりました。

1862年、29歳の時にウィーンを訪れます。後にウィーン・ジングアカデミーの指揮者に迎えられ、作曲の筆を進めながら各地で自作曲を取り入れた演奏会を開き成功を収めます。こうして作曲家としての地位を築き、1876年、19年間の構想の末「交響曲第1番」が完成します。1885年までの間、全4曲の交響曲、ピアノ協奏曲第2番、ヴァイオリン協奏曲など相次いで大作を生み、さらに合唱曲や数多くの歌曲も作曲したこの時期は、ブラームスの最盛期となりました。

ブラームスの作風は大きく4期に分けて捉えられ、青年期の作品は過去の作曲家たちの作品を手本に模索する様子が見て取れ、29歳までの第2期は古典形式を追求し、且つ抒情的で静かな作品が多く、ウィーンに出てから交響曲第4番が書かれた1885年までの第3期、そして晩年には体力の衰えを悟り、大曲には手を付けず、歌曲や室内楽、ピアノ作品の創作が中心になります。
晩年の作品には宗教的な落ち着きが見られ、最後のピアノ作品群op.116〜119は静けさと寂しさを帯び、円熟した旋律の美しさを持っています。

1897年4月3日、肝臓癌を患い63歳でこの世を去りました。その亡骸は、敬愛するベートーヴェンとシューベルトのお墓の近くに埋葬されています。


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