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作曲者紹介introduction

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven
(1770.12.16頃~1827.3.26)

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、ドイツのボン生まれ。祖父も父も音楽家の家系で、幼少期より父親からとても厳しいピアノの手解きを受けていました。「神童」と謳われたモーツァルトが5歳でデビューした為、父は7歳のルートヴィヒを6歳と言ってデビューさせたそうです。

ピアノの他オルガン、ヴァイオリン、ヴィオラ、作曲を学んだベートーヴェンは、13歳で宮廷オルガン奏者の職を得ます。しかし16歳の時に母を亡くし、アルコール依存症で職を失った父に代わり、弟2人の世話をしながら家計を助ける生活を送ることになります。

21歳の時、ボンを訪れたハイドンにその才を認められ、作曲を学ぶ為ウィーンへ移住します。作曲を学びながら貴族の子息にピアノを教え、住み込みで仕えていた伯爵家では自作曲を取り入れた演奏会を何度も開き、多くの貴族や音楽家の間でその名が知られるようになりました。交響曲第1,2番や悲愴ソナタなど初期の傑作はこの頃の作品です。

20代の終り頃、徐々に聴力が落ち始め、経済的にも苦しい時期を迎えます。苦難の末31歳の時には弟宛の手紙「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれますが、芸術への熱意が生きる希望となり、この手紙は投函されることはなく、ベートーヴェン亡き後、机の引き出しの奥から発見されました。この後、より意欲的に創作に励み、第8番までの交響曲やピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ピアノソナタ「熱情」、ヴァイオリン協奏曲、オペラ「フィデリオ」など、多岐に渡る傑作を生み出しています。

1813年(43歳)以降の作品は後期に区分されています。聴力を完全に失い、助手として創作活動を支えてくれていた弟を亡くし、また大きな失恋の痛手もあり、ほぼ創作から離れていた時期もありました。運命に翻弄され、幾多の苦難を乗り越えて生きてきたベートーヴェンの後期作品は、交響曲第9番、ピアノソナタ第30〜32番、荘厳ミサ曲など、激動の生涯を穏やかに回想し天国へ近付いて行くような、西洋音楽史上の高峰となっています。

ベートーヴェンの生きた時代、音楽家の仕事は王族や貴族のために曲を書く事でした。また、ピアノという楽器の改良が進んだ時代でもありました(初期のピアノは鍵盤数が少なく音量も小さな物でした)。ベートーヴェンは楽器の新たな機能と可能性を追求し、音楽とは、芸術とは何かを問い、そして新たな書法で生み出された数々の傑作は、古典期からロマン期へと続く後世のシューベルト、シューマン、ブラームスへ多大な影響を与えました。

1826年、肝硬変を患い病床に伏します。その後も回復することはなく、着手していた交響曲第10番は未完のまま、翌1827年3月26日、56歳でその生涯を閉じました。
葬儀には1万人以上もの人々が参列したそうです。


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